正気じゃないと思った。でも、お前の言う「正気」とはなんだ、とふと反問したくもなった。
1篇目、『菜食主義者』。『夢を見てたの』。ある日見た悪夢を境に、ヨンヘは急に菜食主義者になった。それ以降彼女は徐々に変わっていく。夫や家族は、一方では彼女を心配し、他方では彼女を恥と思い、普通を強制しようとする。
2篇目、『蒙古斑』。芸術家である、彼女の姉の夫が、あたかも人間を超越したかのようなヨンヘから強烈なインスピレーションを得る。彼は取り憑かれたかのようにビデオの撮影を始める。
3篇目、『木々の花火』。姉のインへが、雨の中、精神病棟のヨンヘに面会に行く。ヨンヘは雨の山中で発見された頃から急激に症状が悪化。食べることも話すこともなくなっていた。もはや何を考えてるかさえもわからない。面会をして、治療風景を見て、インへはヨンヘへと思いを馳せる。
『菜食主義者』は、この3つの中篇によって、ヨンヘを中心に語られる。しかし決してヨンヘ自身には到達しえない。彼女の内面は閉ざされている。
私にはその心中がほとんどわからなかった。もし明晰にわかるなら、たぶんその人は常人じゃない。
わかったのは、彼女は菜食主義者より、むしろ植物になりたかったのだろうということくらい。あとがきでも、植物性と動物性とのせめぎ合い、と書かれていた通りに。
彼女が菜食主義者になったのも、殺して食うことへの罪悪感にただ芽生えたわけではないと思う。昔からの抑圧が、夢を媒介して、ある日急に回帰してきた。ギリギリで繋ぎ止めていた糸が急に切れて、あとは窪みに流れ込む水が池を穿つように、加速度的に症状が悪化してしまった。
夢によって、人が変わってしまう。これは統合失調症の発症過程ではわりとよくあることらしい。R.D.レインが『引き裂かれた自己』に書いたように。例えばこんな症例がある。「家を徘徊しても誰の気配が無く、そこで見つけた夫や子供はみんな石になってしまっていた」という夢を連続して見た女性は、数日後には外界に全く反応しない「石」になってしまった。
この現象は、傍目には急に頭がおかしくなったように見える。だがしかし、少なくとも患者の主観からすれば、全ては論理が通っていることなのだ。もともとあった人格分裂的な心理傾向が、夢や出来事がきっかけとなってはじめて表出されるだけのことだ。
厄介なのは、その潜在的傾向を患者本人でさえも知らなかった可能性があること、もし一度発症してしまうと、その傾向の背後にある抑圧を突き止めるのが困難になってしまうことである。
もう少しだけR.D.レインの精神分析理論を続けさせてほしい。彼による統合失調症のプロットはこうだ。
統合失調症の根本原因は抑圧された経験だ。患者は不安定なアイデンティティを守るために人格を2つに分裂させる。外面に表れる私ならざる私(=外的自己)と、「本当のわたし」(=内的自己)の2つの人格だ。他者に対して従順に振る舞う外的自己は、内的自己からすれば「裏切り者」であり、この2つの人格の乖離はさらに進む。内的自己はますます空想に引きこもる。内的自己はしだいに現実との接点を失い、外部からエネルギーを取り入れることができなくなり、生気を失ってしまう。内的自己が殻を破って噴出してしまったとき、統合失調症は潜伏期間を終えて、「いきなり」手遅れの診断が下される。
この話は『菜食主義者』にも当てはまらないか?
少なくとも夢を見るまでは、ヨンヘは「正常」だった。
が、以前から兆候はあった。ヨンヘはブラジャーを着けなかった。(だから彼女が異常だと主張するわけじゃもちろんないが)、しかし「発症」後に彼女が服を着なかったというのは示唆的だろう。ちなみに、植物は服を着ない。
ヨンヘがブラジャーを着けなかった意味は、私にはわからない。もしかしたら、高圧的な父と夫などに縛られて、「逆らわない子供」「穏やかな妻」といった枠が押し付けられることへの、密やかな抵抗だったのかもしれない。そうじゃなかったかもしれない。
ただ彼女の『菜食主義』の究極的な原因についてはもっと明らかじゃないだろうか??
彼女が、暴力的な父のもとで育ったこと。彼女が幼少期によく殴られていたこと。父によって、飼い犬が泡を吹くまで通りを何周も引きずられ、殺され、調理され、家族みんなで食べさせられたこと。
暴力と「食べること」に対する恐怖と嫌悪が芽生えるには十分すぎると思う。
幼少期に遭難したときに「帰りたくない」と漏らしたヨンヘは、精神病院で再び山へと逃げた。
彼女は植物になりたかった。
私が『菜食主義者』(←1篇目)を読み終わった時は、この作品に『狭き門』が重なった。(今思うとそこまで似ているとも思えないが)、周りからは理解できない方法で、人間を超越して、「われわれ」=「生者の社会」から降りていく彼女の足取りのイメージが重なったのだと思う。
暗く暗く深く暗く降りてゆく彼女。
私にはそれが正しいとも間違っているとも到底言えないし、そもそもそういう次元の話じゃないことはわかる。
ただ、最後に彼女に共感するインへがいてくれて良かった、と本当に思った。
(あとがき: 昏いところへ降りていくヨンヘのイメージが妙に鮮明で、最初はそのことを書こうと思っていた。ただ順々に書いてるうちに、急にR.D.レインの話が頭をよぎって、そこから一気に書き進めるうちに、いつの間にか最初のイメージなどとうに超えていた笑。ハンガンさんの他の本だと『すべての、白いものたちの』という詩集を高3のときに読んだことがある。ハンガンさんは傷に繊細なのかもしれない)
読書録


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