バカ共に対する民主主義の結論

バカを政治から排除することが、民主主義を守るための結論だという話。
五月祭爆破予告を受けて。

考えたことの結論だけ書く。

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右も左も、バカ共の自己欺瞞

「民主主義を守るには馬鹿を政治から排除することが必要」という逆説がある。正しい。それこそが民主主義唯一の道である。なぜなら、右も左も、馬鹿の政治的イデオロギーは擬態のひとつにすぎないから。

バカの政治運動は一言で言えば「神経症」だ。根本的な不安に対する、無意味な行為の反復による埋め合わせという神経症構図。「今の収入が低い」「結婚相手もいなくて孤独」のような不安の混ざった夾雑物が、「外国により日本は搾取されている!」「左翼が国民を不幸にしている!」「右翼が…」という言葉になる。

どちらもバカだ。右翼も、左翼も。

それに対して、「話せばわかる」と呼びかける熟議民主主義は古い。なぜならバカに議論は通じないから。呼びかけるやつも大概。バカを討論者として扱ってはならない。理由は明白。バカと登壇者では議論の水準が違うから。登壇者は理性の言葉で語り、バカは感情と反動で動く。「話し合い」への呼びかけは、上から目線の登壇者と、怒っているバカの間で交わされる。すれ違う。議論の水準が違うからだ。

バカにつける薬は何か。政治を取り上げることだ。できるだけゆるやかに、バレずに。

「ネトウヨの処方箋はtiktok」という話がある。誇張はあるが、真理。怒っている人たちに対して、普段私たちは何をするか?話を聞いてあげているフリをして、気をそらし、なだめるだろう。「そこは正しいけど、ここはおかしい」とか反論することがナンセンスであるのは政治でも同様で、怒っている話の通じないクレイジーな人々には娯楽を与えてできるだけ政治から遠ざけなければならない。

バカとは自分の怒りが正義だと信じる人たちだ。知性の話ではない。「賢いバカ」はなおさらたちが悪い。

民主主義は正常な思考を前提とするのだから、バカの政治からの排除は論理的に考えて、必至である。

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