想像の同情と象徴の塔 ー『東京都同情塔』

新宿に巨大な塔が建つ。名を、東京都同情塔と言う。同情すべき犯罪者のためのユートピアだ。ところであなたは犯罪者に寛容になれますか?

社会派SFのようなあらすじだが、この小説の究極のテーマは「言葉」である。書き出しは、「バベルの塔の再来」。引用する。

『バベルの塔の再現。シンパシータワートーキョーの建設は、やがて我々の言葉を乱し、世界をバラバラにする。ただしこの混乱は、建築技術の進歩によって傲慢になった人間が天に近づこうとして神の怒りに触れたせいじゃない。各々の勝手な感性で言葉を濫用し、捏造し、拡大し、排除した、その当然の帰結として、互いの言っていることがわからなくなる。喋った先から言葉はすべて、他人には理解不能な独り言になる。独り言が世界を席巻する。大独り言時代の到来。』

わたしはこの本が好きだ。言葉について考える時、わたしは毎回この小説のことを思い浮かべる。

以下は、わたしが『東京都同情塔』を読んで思った、壮大な誤読だ。一つの解釈だ。

カタカナでバラバラになる人々

主人公は建築家のサラ・マキナ。彼女はやがて、分断渦巻く新宿に同情塔を建ててしまう。サラ・マキナは一風変わった人だ。現実と言葉はイコールで結ばれるべき、という思想を持っていた。彼女の脳内検閲と堅牢な言葉は、ものを造る建築家の職業病である。バベルの塔が崩壊しないために、人々がまとまって生きていけるためには、言葉は正しくあらねばならない。彼女はそう考えていた。しかしその考えは、葛藤を経て変わっていったのだと思う。まるでヴィトゲンシュタインのように。

「バベルの塔の再来」という文で始まったこの物語の背景には、言語に対する私的幻想の過剰がある。「コミュニケーションをしている」と思ってる人たちは、実は同じ記号を交換していながら、全く違うイメージを思い浮かべているのかもしれない。例えば「正しさ」という言葉ひとつとっても、人々の想像してる意味内容が全然違う。違うイメージを一つの言葉が吸収するなら、コミュニケーションが不可能になるのは必然だ。

サラ・マキナはカタカナが嫌いだ。カタカナ(≒外来語)はこのすれ違いに大きく関わる。カタカナはまだ日本語としての使用歴が浅く、無垢でまっさらな、透明な言葉だ。なんとなくで使えるからこそ過剰な幻想を受け入れられる言葉だ。だからカタカナは「全員に公平であろうとしてその実中身の無い構造物」なのだ。

言葉の意味の共同幻想が崩れ、人々が好き勝手に言葉を解釈して「正義」を語るようになった大独り言時代を象徴している。

カタカナ語は政治的に正しい。でも、だから人々の分断は加速する。

シンパシータワートーキョーvs東京都同情塔

この外来語と日本語の対立を踏まえると、「シンパシータワートーキョー」と「東京都同情塔」は真逆の思想を表すように思える。

マサキ・セトはシンパシータワートーキョーを最初に考え出して世に問うた人だ。犯罪者は環境が悪かった。だから犯罪者に必要なのはシンパシーだ、と。

言葉に還元されない同情は、言語未然の共感や同一化に近い。非言語的なイメージの世界の産物だ。

結果、マサキ・セトはシンパシーによって殺された。言葉を介さない、言葉を信頼しない、直接的な快・不快の関係性によって。これは「同情」の不可能性を表すと思う。

一方、サラ・マキナの考える東京都同情塔は、真逆を向いている。屋上に”図書館”を戴くその塔は、単なる塔ではなく、「人々の共同幻想・言語を取り戻して、バラバラになった人々をまとめあげよう」という牧名の願いなのではないか。

東京都同情塔はむしろ同情を禁じると言えるのではないか?人々が過剰な共感と私的解釈によってすれ違う平面的な世界に突き刺さる、争う人々を睥睨する言葉の塔。過剰な同情の暴力性に抗い、同情や共感の繋がりを切断することで、塔は、言語と法の象徴界への回帰を試みる。

つまり「東京都同情塔」とは、想像的同情の暴走に対抗し、言語を祀ることによって秩序の再構築を企てる物語なのだ。わたしはそう思うことにした。

サラ・マキナの転回

「言葉は現実と一致すべきだ」。マキナのこの考えは変わる。「言葉の意味は、実体として存在せず、実際の言語が使われる個別の文脈のなかに見出される」(言語ゲーム)という考えへ変わったのではないか?

マックス・クラインに対して、『「Wash your hands」と言って手を洗ってくれればそれでいい』と言ったのは、サラ・マキナが言葉の”意味”を措定しなくなったからではないか。

言葉の意味がバラバラになってくことへの葛藤を、マキナは言語の実体的意味という幻想を捨てることで解消したのかもしれない。

結び

この本が「生成AI時代の予言の書」たりうるとしたら、みんなが同じ日本語を使ってるにも関わらず、人々がすれ違いバラバラになっていく姿を描いている点においてだと思う。それは現在進行形で進んでいる。XなどのSNSや昨今のポピュリズムを見ていて、痛切に感じる。言葉への信頼が崩れたときこそ、共同体の前提が崩れ、真に人々がわかりあえなくなるときなのだろう。

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コメント

コメント一覧 (2件)

  • おー!めちゃめちゃ面白そうな小説ですねぇ!
    「バベルの塔」と聞いたら私は画家のブリューゲルが描いた絵画を思い出しますねぇ……
    (実は最近西洋・東洋美術史にハマっている)

    やっぱ作家が考えるストーリーは発想からしてすでに面白いですねぇ、そして物語の話の核を分かりやすく咀嚼して伝えられる遊ろぐさんも素晴らしい!

    リクエスト?なのですが、いずれ遊ろぐさんには西洋美術の考察もしてもらいたいです(余裕のある時でいいので)結構キリスト教などが密接に関わってて面白いですよ!

    • 西洋美術ですか…。今ちょうど芸術に関する連載記事でも書こうかなと思ってたので、しばらくお待ちください!!
      『東京都同情塔』はやはり純文学なだけあって1周目ではあまり楽しめなかったですが、時間をかけて3周読んで結構好きになりました。記事内では直接言及していないですがジャック・ラカンを参照しています。ほかにも言語哲学とその周辺の予備知識があるとより楽しめると思います。

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