同じ言葉、違う世界 ー『人間そっくり』

抱えきれない、言葉だらけの存在証明を。

『ナンセンス文学』という好きな曲の歌詞だ。たぶん、きっと「自分が何者か」を完全に説明できる人はいないはずだ。それどころか自分が人間であることさえ示すことはできないだろう。

なにを馬鹿げた、と思うでしょう?言葉遊びじゃないのだから、と。その馬鹿げたテーマを180ページも展開するのがこの本なのだ。

『あなたは火星人じゃないことを証明できるか?』をテーマとしたのが、今回紹介する小説・『人間そっくり』だ。自分を火星人だと思っている狂人と主人公の会話が延々と続く。

あらすじをざっくり説明する。主人公は「こんにちは火星人」というラジオ番組の企画担当だが、火星探査成功をきっかけに番組への抗議が多く届くようになる。そんなさなか、番組の熱心なファンだと言って家に押しかけてきたある男。彼は自分が火星人だと信じている。しかし一方、その奥さんは電話越しにこう言うのだ。「彼は分裂病(統合失調症)です。だけど気性が荒いから気をつけて。私が迎えにいくまでの間ちょっとだけ話を聞いていてやってください」と。そして男と話をすることになるのだが、自分と彼・地球人と火星人の境界線はぼやけていく……。そういう話だ。

ここでもう一度原点に立ち返る。「あなたは火星人じゃないことを証明できるか?」

できるわけがない。ここからもっと先に進めて、言葉に対する不信感、というものがテーマの根底にあるのかもしれない。

言葉は事実の関係を証明するにすぎない。あたかも定理が公理を前提として成り立ち、公理そのものを説明できないように、言葉は現実を前提にして話を始めるのだから、言葉を使って事実そのものに迫ることは不可能なのではないか。言語は本質的に虚構である。

だからもし言葉で自分を表そうとしたら、「私は学生で、男で、17才で…」といった風に語るしかない。しかし「学生」という言葉は、そのほかに「社会人」や「子供」や「自営業者」といった言葉があることによって、反照的にはじめて意味を形成するのであり、言葉というのは畢竟、ほかの言葉との関係性、意味のネットワークにおける位置づけを説明しているにすぎない。

だから同じネットワーク・世界観を共有している相手にしか、意図を伝えることはできない。盲目の人に赤色を説明できないように。

言葉は万能じゃない。誤解もよくある。それを延長して、私は地球人だと思っているけど、他の人とは感覚や中身を全く異にした存在だと考えることもできる。例えば色覚異常について考えてみてほしい。普通の人には「青色」と見えるものも色覚異常者には違って見えるかもしれない。しかしその人がその色を「青色」と学習してそう呼ぶならば、表面上は矛盾なくコミュニケーションができる。だからその感覚のズレは問題にならないし、色覚異常に生涯気づかず生きる人もいる。わたしの「青色」とあなたの「青色」は、全く別の感覚かもしれない。

わたしは、自分が地球人だ、と思い込んでいる火星人、と思い込んでいる地球人、と思い込んでいる火星人、なのかもわからない。世界は全て、そっくりさんで出来上がっている。

原理的に解決不可能という点で、この問題はそもそも無意味な問題かもしれない。これを解決できるとしたら、あえて人の内面や意図には踏み込まず、「ふるまいの一致」こそが言葉が伝わった証と考える言語ゲームの世界では無いだろうか。私達は、同じ対象を同じ言葉で呼び、同じスタイルの生活をする限りにおいて、私達は同じ人間だと信じている。この文章だって言葉で書かれてる。わたしのイメージがあなたに伝わることを信じて。わたしとあなたが同じ人間であることを信じて。

それでも。それでも言葉に集約できない各個人だけの感覚、人間の独自性というものを、わたしは同時に愛しく思う。それは人が永遠にわかりあえないことの証であり、死を分有できず永久に孤独でいることであり、人間が人間である証だ。わたしの経験は、決して誰も肩代わりできない。なんと不思議なことではないか。

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