今回から全三回にわたってわたしの高校生活の思い出を振り返ろうと思う。思い出も保存しないといつか忘れてしまうらしいから、自分のエピソードをただ淡々と書き連ねてみる。
今回はわたしの高校1年生のときの思い出だが、前半は暗い話が多いと思う。飛ばしてくれて構わない。その原因は高校のせいではなく、わたしののっぴきならない個人的な事情によるものだ。わたしの高校生活が本当に始まったのは1年の後期だと思っている。そこから光が差してきた。
入学~夏休み前:病みの前期
屈辱から始まる高校生活
入学前。わたしの高校生活はいきなりやらかしエピソードから始まった。都立高校ではどこも入学前に教科書販売がある。日比谷高校では教材をかなり多く買うのだが、わたしはその教材量を見くびっていた。どっさり紙袋4袋。持って帰れるだろうと思っていたが、実際は手に紐が食い込み、両手が痛くなった。さらに雨まで降ってきて、紙袋が破け、教科書が路上に散った。通りすがりの他の新入生に助けられて事なきを得たが、わたしはいまだにそのときの恩人の名前を思い出せていない。(だからお礼もできていない)。

こんな屈辱的な思い出から始まる最初の高校生活は碌なことがなかった。「病みの前期」と自分では名付けている。そのときわたしはメンタルを病んでいた。理由はいくつかある。一つは環境の変化。二つ目は「ちゃんとしなきゃ」という窮屈な意識。三つ目は、すごくプライベートな話なのでしたくないが、家庭内の環境だ。曖昧にしか言わないが家に居場所が無いと本気で感じていた。(結局夏の終わりまで、その状況は変わらなかった)。夜になってひとり歩く、自習室からのけだるい帰路が脳裏に浮かぶ。
そんな感じで本当にわたしは鬱だったので、一年生前期の記憶はほとんどない(写真も機種変更で失われてしまった)。
五月にはマザー牧場に遠足に行った。マザー牧場は特に何もなかった。動物を眺めて草に座ってクラスメイトと話して終わった。体育祭もあったがこちらも大して記憶はない。合唱祭はちょうどいろいろと忙しい時期に重なり、そもそも合唱が嫌いだったことも相まって嫌な雰囲気しか覚えていないのだ。
英語について
英語の授業についてはいくつか覚えていることがある。のちに高校三年の後期になってようやく英語は武器となるのだが、一年のときはとてつもなく苦手だった。苦手になったのもきっかけがある。
英語の授業ではコミュニケーションテストというものがあった。事前に告知されるいくつかのトピックについて、担当の英語科の先生と対面で数分間話す、というテストである。わたしは高校入試の英語は得意だったが、中学のうちはリスニングや発音をおろそかにしていたため英語でうまく話せなかった。案の定コミュニケーションテストでは”patient”を”パティエント”と言って「何言ってるんだコイツ」と先生をフリーズさせた。沈黙が気まずかった。その後クラスで”patient”は”ペイシェント”と読む、という話をされて、ひとりものすごく恥ずかしく感じた。思い出してもむず痒い。(ただしその先生に悪意があったわけではない)。その後は英語を話そうとするたびにこのできごとを1思い出した。しばらくは英語を話すことが億劫になるほどに。
もう一つある。一年生はグループごとに英語でプレゼンテーションを行う。そのプレゼンで事件は起きた。事前準備として、パワポの下の”原稿”欄に英語を打ち込んでいたので、わたしは慢心していたのだ。本番自分の出番が回ってきたとき、緊張で話す内容は飛んでいた。そして目線を落として原稿を読もうとしたが、英語科の先生から”Don’t read”と言われ、クラス全ての視線を受けながら酷いプレゼンをした。思い出すだけで赤面してしまう。
日比谷高校には帰国子女も多い。英語に関しては嫌な記憶も相まって、わたしは人一倍コンプレックスを抱えていた。
定期試験について
定期試験はそこそこ取れていた。最初の中間考査では学年50位/320くらいで、まあまあいい成績だったと思う。その後も一年のうちはだいたい学年50位前後で振れていた。
当然だ。毎日自習室で勉強していたのだから。そのまま勉強しか取り柄が無く、コンプレックスを一人で抱えたつまらない人間にならなくてよかったと心底思う。1年生のうちは、平日1~2時間、休日3~4時間くらいの勉強量だったと思う。
思えば、1年生の前期が憂鬱だったのはわたしの抱えていた問題せいだけではないのかもしれない。アイデンティティの危機。中学までは区立中学校にいたので「勉強ができる」だけでキャラが立っていた。しかし高校は「勉強ができる」が当たり前だったので、自分自身のキャラが無い。どう周りと関わっていいのかわからず、不可能なコミュニケーションを前にして、わたしは戸惑っていたのではないか。
夏休み:ようやく見えた光
そして長い4か月の末に、夏休みが始まった。夏休み以降、ぽつりぽつりと思い出が増えていく。
部活合宿
わたしは弓道部だったので弓道部合宿に行った。正直かなり部活をサボっていたので弓道部を名乗るのもおこがましい。前期は単に忙しく、後期は友達と遊んでいた。いまだに弓道部と言うのは少し気が引ける。そんなわたしだが、一応は部員だったので合宿に参加した。
合宿先の弓道場は暑かった。コンクリートの地面からの輻射熱でぐったりした。そのうえ蜂も飛んでいた。的を見て、弓を引き絞りながら、蜂の音を耳元で聞く。忍耐力は十分ついた。下手すりゃ熱中症の状況で、よく弓なんて引けたなと思う。
夜は暗かった。田舎だから当然だ。弓道場と宿が少し離れていたので、肝試しと称してライトをつけずに宿まで帰った。星が綺麗だった。足元が怖かった。それはそれで思い出深いのだが、その時初めてわたしはUFOを見たと思った。夜空を斜め上に上昇する光る物体を見たのだ。それは3秒ほどで消えた。もしかしたらそれは流れ星だったのかもしれない。
その部活合宿でわたしは共産主義にハマった。いや、主義と言えるほどの代物ではなく、趣味程度のものだったのだが。その「秘密結社感」や「自分だけが歴史を知っている」という感覚に酔った。今考えると、キャラの獲得にすぎなかったのだとも思う。その後は資本論系の本を読むなかで熱が冷めていったが、今でもマルクス自体はすごい思想家だと素直に思っている。
わたしは3年間通して、終始弓道部にはなじめなかったと思う。そうではあるが、合宿自体はいろいろと思い出深い。夜にUNOをやったのを憶えている。そうした弓道部合宿に思いを馳せるとき、わたしはあのぐだるような真夏の暑さを思い出している。

勝山臨海合宿
わたしは1年の夏に勝山臨海合宿という行事に参加した。この体験は強烈だった。行ってよかったが二度と行きたくはない行事だ。
勝山臨海合宿とは、1年生のうち参加希望者50人ほどが参加する臨海合宿だ。長い伝統があるらしい。千葉県にある勝山寮に五日間泊まり、一水会というOB組織のもとで「神伝流」という古式泳法を習得する。
まずその一水会のクセが強すぎるのだ。勝山までバスで着くと、屈強な海の男達がお出迎えしてくれる。腕を組んで、背中を向けて。無音で旗だけがはためいた。一言で形容するなら、軍隊、だろうか。来る場所間違えたかな…と思った。
寮に着き、最初に注意事項が伝えられた。「我々の命令に従えないものは!即刻!!東京に帰ってもらう!!」。やはり来るべき場所を間違えたと確信した。

そして海に入る前に、女子は水着、男子は水褌を着けることとなる。水褌とはふんどしである。布の帯一枚である。着けると非常にこころもとない。もし海で外れて水褌が流されようものなら陸で全裸を晒すこととなる。刑法とたぶん条例にも引っかかる。一巻の終わりだ。だから水褌はしっかりつけねばならない。(そして勝山臨海合宿へ行く人へ:剃刀かハサミかそれに類するものを持っていくといい。理由は言わないが、初日に水褌を着ければわかる)。結局持ち物に書かれていた「水着」は、勝山では一度も使われることはなかった…。
海に入る。夏といえども冷たい。ワセリンを腹に塗ると暖かいと聞いたが、気休め程度の効果だろう。海に入って嫌なことはなにか?一位は、尿意だ。「小用は黙ってしてヨシ!」は一水会のポリシーだが、残念ながら冷たい海の中で、泳ぎながら、水褌のキツい結びを超えて小用をすることは容易ではない。下腹部が痛くなるのを感じ、トイレのことだけ考えながら泳ぐのだ。おそるべきかな、海。次に嫌なのが寒さだ。海水は夏でも寒い。日がでているときはよいが、曇りや雨のときは陸に出ても寒い。観念して、震えて泳げ。第三位が体力である。昼の休憩はみんな寝ていた。やはり泳ぐということはかなり体力を消耗する。よく寝よう。
わたしは朝起きるのがめちゃめちゃ苦手だったので、いつも朝の点呼に遅れていた。「13番は?」「いません!!」。これが毎朝あったため、わたしは知らぬ間に有名になっていた。
勝山寮は刑務所と揶揄されるほど、コンクリートの荒々しい造りだが、実際、室内は快適である。クーラーも効くし食事もおいしい。勝山ではいくつか行事がある。陸に上がれば相撲を取るし(当然、水褌を掴むことは禁止である)、スイカ割りもする。わたしはスイカを一発目で割ってしまった大罪人だ。相撲ではわたしの同級生が一水会の男たちを全て倒していた。あまりに強すぎたため、サンボ日本代表の体育科の先生に鎮圧された。4日目には遊戯会(?)もある。各グループで、ギャグ的なものを考えて発表する。男子は結局、どこも水褌ネタに着地する宿命らしい。
たしか4日目には泳法のテストもあった。合格者は進級できる。実際に受かる人は少ない。わたしは落ちた。そして受かった人たちは午後に泳法のさらなる練習がある。落ちた人は、山に登る。山からの景色は格別だった。落ちたおかげで山に登れて良かった、というのはここだけの話だ。
寝る部屋の班はいろんなクラスの混合なので、他クラスとも仲良くなれるチャンスだ。2年に上がった時など、勝山トークでその後仲良くなることも多い。
最初に怖いと書いた一水会だが、たまに人間の部分を見せるときがあり、なんとも憎めない。約5種類ある勝山の歌を参加者は一水会に教えられて覚えるのだが、わたしの代ではちょっとしたハプニングがあった。夜、寮に教えに来た一水会の人が歌いだしそうで歌わなかった。どうしたんだろうと見守っていると、厳かな雰囲気から一言、「すまん、歌詞を忘れてしまった」。彼らもまた人間である。(実は、勝山のあとには打ち上げみたいな行事もあったりする。わたしはそれに寝坊したが)。
5日間の最後には遠泳がある。頑張って泳ごう。大して速くはないので体力は大丈夫だが、いかんせん、わたしはトイレに行きたくて仕方なかった。そして上陸したら帰りは陸路で宿に戻る。その後荷物をまとめて勝山を発つことになる。5日間は疲れたしつらかったが、終わってみればめっちゃ楽しかったと言える、不思議なイベントだ。

ちなみにわたしは勝山でよく日焼けしたため、しばらくは「煮卵」と呼ばれることとなった。いやなんでやねん。
読書にハマる
そしてわたしは病みの前期の影響と、アイデンティティの不安のなかで本を読み始めた。それなりにはおもしろかったが、別に大して好きだったわけではない。しかしわたしは哲学にハマった。わたしが悩みを抱えていたことも遠因ではあるが、きっかけは2冊の本だった。1冊目は『闘うための哲学書』、2冊目は『暇と退屈の倫理学』だ。『闘うための哲学書』は、2人の哲学者の対話形式で、「そんなところまで考えていいんだ!!」とまさに目からウロコだった。『暇と退屈の倫理学』は言わずと知れた名著である。わたしの哲学はここから始まった。それ以降哲学系の本を読み漁ることになり、いまだに続いている。
(初めてブログを書いたのは翌月の九月だった。前のブログからは高校卒業のタイミングで乗り換えたため、今年の9月、3年目の更新のタイミングでドメインごと消えてしまうのだろう。ブログを書き始めてようやく2年半も経ったのか。)
結局、最初は読書キャラから始まったような読書も、のちのちアイデンティティにまで昇格するのだから、人生何があるかわかったもんじゃない。

読んでる本の分野もバラバラなのが、当時の自分のちょっとした混乱を示しているみたいですこしおかしい

後期:適当な人間に戻る
星陵祭
わたしは星陵祭にはそこまで深くかかわっていない。登場1分ほどの端役だったし、練習時間も短くて済んだ。当日はビラ配りなんかをやって他のクラスの劇を見に行った。夏休みも何回かは練習に参加したが、その程度だった。後夜祭委員会だったので、後夜祭準備の活動も夏には行っていた。アクリル絵の具で垂れ幕をペイントしたり、開いた傘を紐に引っ掛けて体育館の上に渡したり。大したことはやっていない。

わたしにとって明確な転機があったとすれば、星陵祭2日目の後夜祭が終わったあと、になるだろう。
後夜祭委員だったので片づけをした。普通の人よりも帰る時間が少し遅くなり、当時は「遅刻坂」の下にサイゼリヤがあったため(すでに閉店している)、一人でそこに向かった。そのサイゼでクラスメイトと出会った。で、結局、同じ席で食べることになった。同じクラスの男子だったがあまり話したことはない人たちだったし、漠然と別世界の人みたいに感じていた。何かを話した。何を話したのかは全く覚えていない。しかしそれを契機に少し距離が近づいた。
たぶん話した内容なんかよりも、一緒にご飯食べながら話したという事実の方が大事だったのだろう。
そのなかのK君とは特に仲良くなった。入学直後はいかにも陽キャっぽくて少し近づきがたいと感じていたが、今では親友だ。というか、わたしは彼にかなり感化されたのだ。のちのちわかったが、彼はものすごく適当な性格だった。その”軽さ”に影響を受けて、「あ、もっと雑でも大丈夫なんだ」と知った。おかげで高2、高3は、随分と雑な人間になってしまったが、とても楽しかった。人間、ちょっと雑くらいがちょうどいいのかもしれない。
ヨルシカにハマる
その彼や他の友達とどのように距離が近づいていったのかは正直よく覚えていない。しかし10月のあるとき、教室に座っていたら、彼らが両隣に座ってきて「君もヨルシカを聴かないか」と勧誘してきた。たしか金曜日の出来事だったと思う。しかたねえなと思った。土日に家のスピーカーでヨルシカの曲を流してみた。
よかった。それで、ハマった。ヨルシカ、いいじゃん。そして彼らとはよくカラオケに行くようになった。高校1年生は高校生活で一番暇な時期だ。わたしは部活をサボっていたし、彼らは帰宅部とほぼほぼ幽霊部員だったから、放課後の時間を共有できた。クラスでよくカードゲームをやったし、わりとよくカラオケに行った。
「今作ったプロポーズの言葉を君にあげるよ」みたいな名前のカードゲームで盛り上がり、下ネタでめちゃめちゃ笑った。カラオケで忘れられない出来事もある。3人で行ったとき、だれかがジュースを倒してしまい、床が水浸しになった。そのとき友達が「サクシードの解答用紙」を学校から100枚ほどパクってきていたので、それを使って皆でジュースを拭いた。
土曜講習
日比谷高校は平日は授業があるが土日は基本無い。しかし年8回だけ土曜講習がある。1年は全員参加だが出席管理はわりと緩かった。希望制で2クラスに分かれていてわたしは強気に上のクラスに行ったのだが、内容は結構難しかったと思う。1年のときから英語の長文は東大・京大・一橋あたりの過去問が使われていた。
そんな土曜講習もいろいろと楽しかった。オンラインがあったので教室で遊びながら授業受けるときもあった。土曜講習のあとは毎回ラーメンを食べに行った。土曜講習と言えばラーメンだったから、楽しい印象しかない。
オンライン英会話事件
日比谷高校ではオンライン英会話という時間がある。年に数回、PCを用いて外国人と英会話をする。そのオンライン英会話で事件が起きた。
端的に言えば、友達にそそのかされてわたしがオンライン英会話をサボったのだ。それまでオンライン英会話は出席確認がいっさいなかったからバレないだろうという算段だった。実際その教唆犯は初犯ではなかった。だからいけると思った。そして最後から二回目のオンライン英会話で決行した。
バレた。そのときだけなぜか先生が見回りに来てバレた。家に電話がかかってきて、そのときは金曜日の放課後だったから、月曜日待ってます、という内容のものだった。(電話を取ったのはわたしではない)。
そして月曜日、遅刻魔のわたしとしては珍しく、朝早起きをして学校に向かった。教唆犯と合流し朝早くに謝罪を済ませることで情状酌量を狙ったのだ。だが担任の先生が不在だったので教室で待つことにした。その担任の真似をそいつがやっていた。それで笑っていたら、当の担任がこっちを見ながら遠くを通り過ぎた。終わった、と思った。
朝のホームルームが終わり、やはり呼び出された。しっかり怒られた。高校生活でちゃんと怒られるのは最初で最後だったかもしれない(日比谷の先生がわりとユルいおかげでもある)。
「……なんで朝からそんな笑っていられるの?」に始まり、「8限目の授業」という言葉に責められた。今思い出すと逆におもしろい。その後、英語科の先生に謝罪回りに行き、無事に執行猶予がついた。
これを成長と呼んでいいのかはわからないが、高校1年のうちにだいぶ適当な人間になった。肩の力が抜けたのはいいことだが、抜けすぎてしまったかもしれない。
1年学年末試験
そして1年の終わりに学年末試験が行われた。当然頑張った。が、今思うと努力の方向性を大きく間違えていたような気がする。
わたしは定期試験の点数を最大化するため、他の人が苦手としている「コスパのいい科目」を重点的に勉強することにした。だから当時のわたしは、地理総合・歴史総合・地学基礎・生物基礎・公共・情報、で打線を組んでいた。国数英をなおざりにして、である。(その結果、高3以降苦しむこととなる……。)
次に勉強時間。だいたい試験3週間前から少しずつ勉強を始めて、2週間前から本腰を入れ始めた。試験の3日間(あるいは4日間?)は、夜遅くまで勉強する方がかっこいいと思っていたので、睡眠時間をゴリゴリ削って勉強した。暗記科目はそもそもインプットが無ければアウトプットはできない。その信念のもと試験が始まってからは、コーヒーとカフェイン錠剤を摂取して夜を明かした。毎日4時間睡眠で、最後の日は完徹した。朝日が見えるまで徹夜したのは、このときと修学旅行の人生でたった2回だけだ。体に障るからやめなさいと母に言われたが、その通りだと思う。
そんな感じで勉強して1年の学年末考査ではクラス1位を取った。学年では10位くらいだった気がする。最終日が終わった後のカラオケでは気持ち悪すぎて寝た。当然こんな勉強法はおすすめしない。
もしわたしが勉強法をおすすめするとしたら、
①まず課題をこなす
②暗記科目は単語だけ教科書などから抜き出してルーズリーフにまとめる
③英語ではリスニング・音読が大事
④よく寝る
これくらいだろう。


1年生編・完
かくしてわたしの高校1年生は終わった。後期で気の置けない友達ができてから急に楽しくなった気がする。それは本当にわたしにいい影響をもたらした。勉強面でも高めあえた。
高校1年生の時間を一言でまとめるなら、「環境に適応しようとし続けた1年」だったと思う。何かが劇的に変わったというよりは、うまくいかなさや手ごたえのなさを、そのまま抱えたまま進んできた時間だ。そのなかで自分なりに選んだことや、引き受けた違和感は確かに残っている。わからないままだけど、それでも暗中模索で進んでいった一年間だった。ここで完結するものはなにもないまま、それでも前に進むための前提だけがようやくそろい始めたのだと思う。


コメント
コメント一覧 (4件)
病むと読書にハマりますよね、自分もそうでした笑
あと、新しいブログのホームページ、めちゃくちゃクオリティ高いですね!!笑笑
文章の読みやすさ変わってなくて流石だなと思いました!これからのブログ記事も楽しみにしてます!キャンパスライフを楽しんで!!
お、返信ありがとうございます。
新しいブログでは、自分でサイトをいじるのが手間だったので、有料のサイトデザインを1万5千円くらいで買いました(笑)。少しずつデザインも変更していくとつもりです。文章はまだまだ磨いてる途中ですけどね…。昔よりはいい文章を書けるようになったとは思います。今後もよろしくおねがいします
東大合格おめでとうございます!!
このブログを参考に、無事推薦で日比谷に受かりました!感謝してもしきれません(◡ ω ◡)
でも、勉強についていけるか…
小テストボロボロでした(汗)
学年順位高かったそうですが、おすすめの勉強のしかたってありますか?教えていただけると嬉しいです!
読んでいて面白くて、これからも読ませてもらいます!
ありがとう!!私の文章が役に立ったなら嬉しいです
勉強については心配せずとも大丈夫だと思います。課題や小テストをちゃんとこなしていれば脱落することはない。最悪、定期試験でちゃんと勉強して取り返せれば遅れを取ることはないです。ただし学習の遅れが積み重なりすぎると訳分からん状態になるので気をつけて!
実際に自分で定期試験などを受ければ次第に分かってくると思います。定期試験は2、3週間前からちゃんと全教科勉強すれば、総合順位100位以内に収まるはずです。ご参考までに、私は100位以内のキープと50位以内に入ることを目標にしてました。
……と、ここまで広めの話をしましたが。次は焦点を絞って勉強法について。
国語→古文漢文は古文単語をちゃんと覚えましょう。1年でしっかり理解してないと2年、3年が辛くなります。なぜなら文法事項は基本的に1年のうちに終わってしまうからです。現代文は、明確な実力の伸ばし方があまり無いですが、学校配布の「ちくま評論」を定期試験対策の際にちゃんと読むことをおすすめします。現代思想の幅広い分野をカバーしていて、似たような文章に会った時に役立ちます。
数学→予習を早めにやっておくと高二高三が楽です。YouTubeやスタディサプリなどで優れた授業動画が見れるので、先取りをする際はそれを使うのもアリだと思います。もちろんできるなら教科書だけでもいい。理解してからじゃないと問題は解けない、と思われるかもしれませんが、実際は解きながらじゃないと理解できないこともある。初見殺し問題にイライラすることはあれど、お手持ちの問題集(フォーカスゴールドなど?)で問題をたくさん解くことがやはり最良だと思います。解いたら必ず日付とABCなどの難易度を問題集に書き込むようにしましょう。
英語→日比谷は英語がきつい。帰国子女もたくさんいるし、中学まではリスニングやスピーキングを勉強することも少ないからなおさら。授業内の英語ニュースリスニングなどは聞き取れないのがむしろ普通です。勉強法としては、学校の教科書のリスニング音源や、BBCの5minutesEnglishなどのスクリプトがあるものがおすすめです。あとは単語帳で単語を覚えることも優先順位がとても高いです。速単・速熟はリスニングと単語暗記ができるので優れている。鉄壁はいずれ東大を受けるなら必要となるので、持っておいて損は無いと思います。
その他科目→定期試験対策期間で詰め込めば間に合います。「点じゃなくて流れで覚えろ!」と言われるかもしれませんな、点が頭に入ってないと流れが頭に入ってこないこともよくあるので、重要単語をルーブリーフにまとめてクリアファイルに入れ、通学時間など何度も見てると頭に入ってきやすいかと。
返信遅くなってごめんなさい。分からないことがあればまた聞いてください!答えられる範囲で答えます